私的リア充論

僕はリア充の定義を大学生活板で使用されていた本来の意味を尊重し、
1友達が今現在一人でもいる、
2過去に一度でも恋人がいたことがある(もちろん「現在いる」も含む)
3部活動・サークル活動などに所属している 
この3点のいずれか一つでも満たしてるというものだと考えている

というものと考えている。なので大半の人が言うリア充という言葉の使い方で僕は常にいいしれぬもやもやを感じずにはいられないのである

ちなみにこの定義に基づけば自分もおそらくリア充であり、それを自称することもできる。
大学ではぼっちだがネットには友達がいるし、それを含めないにしても過去には数少ない友人がいたからである

なので今後は非リア充ではなくリア充を自称しようかということも検討中である

確かに言葉の意味は流動するもので、人それぞれその定義にずれがあることを悪とは思わないが、
大学で共に授業を受ける学友がいたり、その他活動に活発な者が、恋人を有するものを見て「リア充爆発しろ」
などというような使われ方が主流となってしまうのはあまり喜ばしいとは思えない。


しかしながら、私自身は現在の状況に対してリア充であるとは到底思えず、非リア充を自称したいのである。

私が今非リアを自称している大半の人に対して思うのは、本来彼らはそのような存在ではないのだから、
無理やり下の存在であることを「ステータス」として感傷に浸ろうとするのではなく、自分の幸せを自覚して
(もちろん幸せじゃない者もいるだろうが)生きて行ってもよいのではないかということだ。



ここまで書いておいてあれなんだけど、この主張は僕に対してもブーメンランとして帰ってくる可能性が存在してるんですよね(´◔‿ゝ◔`) ・・・・




なんかすごい押しつけがましい書き方になってしまっているのではないかと不安です;
僕は大生板の定義を盲信してるけどそうじゃない人にとってはそうじゃないかもしれないし、別にそれ以外の考えがあっても全然いいと思うから、僕個人のいう事なんてあんま気にしすぎないでください;